何のために学校に来るのか

 

 

1 主題
 学ぶ意味・教わるわけ

 

2 主題の背景
 平成10年1月28日、黒磯市の中学一年男子生徒の授業中の態度が悪かったので英語担当の女教師がそれを指導している時に事件が起こった。指導を受けているときに生徒Aがポケットからバタフライナイフを出して教師を脅す素振りを見せた。が、女教師はそれに怯まなかった。そこでAは女教師の腹部を刺して死亡に至らしめた。


 教師が教え子を殺害したことも、教え子が教師を殺害したことも、私は聞いたことがなかったので大きなショックを受けた。


 これは、「学ぶ意味・教わる訳」という根本的なことを知らない、教わっていないという事態が生んだ悲劇だというのが私の認識である。戦後の教育が、表面的、効率的、時流的な対応に追われ、根本的、本質的な教育の原点への思索を欠いてきた大きなうねりの中で生じた、生徒の側からの一つの告発的事件とも言える。個別の問題というよりは「教育の在り方」そのものを改めて考え直してみなければならない事件だと私は思う。


 何のために学校に通うのか、何のために教育があるのか。それらの意味や目的を教師も、父母も、子供も共有していることが肝要なのだが、そんな「面倒なこと」は当面どうでもいいじゃないか、という安直な考え方が支配的なのだ。現代社会の一つの教育的暗部である。この問題を考えたい。

 

3 授業の主要な進行
①「今日も元気で、みんなよく学校に来たね。学校に毎日来るのは何のためだろう。自分の考えをノートに書いてごらん」

 

ア、勉強するために
イ、いろいろなことを教わるために
ウ、幸せになるために
エ、立派な人になるために
オ、生活していくために

 

 これらの答えはどの子にも書けることだろう。どれ一つ誤りはない。ひとまず「よく考えたね」と認める。

 

②「人間」という言葉は、人の間と書く。また、人という文字は二人の人が支え合っている形だとも言われる。人間は、自分一人では絶対に生きていくことができない。そんなことはないよ、私は誰の世話にならなくても生きていけるよ、と思う人はいるか。できるという人はノートに〇を、できない人は×を書きなさい。


  これは初歩的な「自覚」の指導である。ほとんどの者が×を書くだろう。それを大いにほめたい。それは大きな気づき、大きな発見である。ふだんはこんなことは考えないだろうと思うからだ。


 着ている物も、今朝食べた食事も、今座っている椅子も、鉛筆もみんな、誰かが作ってくれた物だ。


 「人間は助け合い、支え合い、協力し合って幸せになれるのだ」とまとめる。多くの子がうなずくだろう。

 

③そのように考えると、「勉強する」「学校に来る」のは、
 

A、自分のため
B、世のため、
C、他の人のため、

 

のどれが、正解だろうか、選ぶように促す。これまでの経過から、Aは少数で、BかCに多くの者が集まるだろう。
 

 そこで、Aの考え方を「利己的」、BとCを「利他的」と語源解説をした上で分類する。

 

④さて、そうなると、B、Cの人のために学校に来る、世の中のために勉強するということになると、自分のためにはならないことになるぞ。「そうだよなあ」と思う者は〇を、「それは違う」という人は×を書いてみよう。
 

 子供は迷い始める。「世のため、人のために学ぶ」ということになると、「自分のためにはならない」ことにもなりそうである。
 

 〇と×とが、半々になったら理想的であるが、そううまくはいくまい。

 

⑤「主体的、対話的で深い学び」に子供らを導くべく、大いに話し合いをさせる。教師の「話し合いの指導力」がものを言う。的確、適切にリードできなくてはいけない。
 

 望ましくリードしていく鍵は、「利他的」な人は、「誰からも大事にされる」ことになることに気づかせる一点である。「利他的」な生き方を目的として身につけた者は、結果として誰からも大事にされる。つまり、誰からも高い評価を受けるので、幸せになれるのである。
 

 例話を一つ示してみよう。「おいしくて、安い店」は、客が多い。客が多くなれば収入も増す。収入が増せば、さらにおいしくできる。店もきれいにできる。更に、お客が増える。反対だったら、結果として自分も幸せにはなりにくい。

 

⑥勉強すること、毎日学校に来ることの「目的」は、「世のため、人のため」になれる力をつけるためなのだ。「世のため、人のため」に役に立てるようになれることが、結果として自分の人生を幸せに導くことになるのである。

 

⑦ところで、「自分」を見つめてみよう。「自分は、かなり立派な人間だ」と思っている者は〇を、「そうは思わない」という人は×を書いてみよう。
 

 大方が×をつけるだろう。これは、「未熟の自覚」ができている証とも言える。〇をつけた者よりも×をつけた者を大いにほめたい。
 

 そして、「先生である私も、実は×なのだ」と明言する。そして「立派な人」になるためには、常に、「いい気にならないで」、つまり「未熟の自覚」をしつつ、「自分を少しでも高めていくように努め続けることが肝要なのだ」とまとめる。

 

⑧最後の問題を出す。次の二つは、どっちの方が難しいか。よく考えてどちらかを選びなさい。
 

A、自分の欠点、短所に気づく。
B、他者の欠点、短所に気づく。

 

 大人にとっても実は難問である。Aの方がずっと難しい。眼も、耳も、口も、外に向かって開いている。「内省」「反省」はなかなか難しい。「悪口を言われると不愉快になる」のは誰でも経験のあることだ。これは、それと気づかないうちに「悪口なんか言われることはない」という高い「自己評価」をしていることの証なのである。
 

 この辺りの授業は、さらさらと進めてはいけない。ことによればもう一時間必要になるかもしれない。そうなれば、そうした方がよいかもしれない。授業の進行の大原則は「必要の連続」だからである。新たに「必要」が生じたら、その「必要」に従うのがよいのである。

 

⑨最後の「まとめ」である。
 

ア、「世のため、人のため」にこそ人は学ぶのだ
イ、「世のため、人のため」に学ぶことが、結果的に自分をも幸せにする。
ウ、そういう人間を目指し、憧れることが大切であり、そのためには常に「未熟の自覚」を持つことが鍵になる。
エ、その「未熟」をより良くしていくためには、「他者の見方」を大切にする必要がある。

 

 「指導」されたり、「叱られ」たりすることは、本来ありがたいことなのだ。低、中、高それぞれにアレンジして実践してもらえたらありがたい。


<NO. 155 令和元年6月1日発行より>

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