1「脳科学と教育」研究の歩み

 

 本連載を始めるにあたり、脳科学と教育に関する研究の歩みを振り返ると、経済協力開発機構(OECD)の教育革新センターが一九九九年に、「学習科学と脳科学」という国際研究プロジェクトを開始したのが発端である。


 第一期の一九九九〜二〇〇一年には、脳科学の到達点を集成する作業が行われ、言語習得のメカニズムなど、学習の科学についての知見がまとめられた。二〇〇二〜二〇〇五年の第二期には、アメリカが「脳の発達と読み書きの能力」、ヨーロッパが「脳の発達と計算学習」、そして日本が「脳の発達と生涯にわたる学習」に関する研究調査を行った。


 また、二〇〇一年には、科学技術振興事業団(現・科学技術振興機構)による「脳科学と教育」の研究が始まった。翌年には文部科学省に「脳科学と教育」検討会が発足し、二〇〇三年からは理化学研究所脳科学総合研究センターに「脳を育む」領域が設定された。
 

 さらに、文部科学省は二〇〇六年に「脳科学研究の推進に関する懇談会」を設置し、翌年に報告書「脳科学研究ルネッサンス〜新たな発展に向けた推進戦略の提言〜」を発表し、二〇〇八年より、「社会に貢献する脳科学」の実現を目指して、「脳科学研究戦略推進プログラム」を開始した。
 

 理化学研究所脳科学総合研究センターの加藤忠文氏は、教育に脳科学を取り入れようとする時の危険性について警告を発し、「ゲーム脳」のように、不正確な知識と誤ったデータを基にした本が書かれ、一部の教育関係者に浸透してしまったものがある、と批判している。
 

 さらに、脳の「活性化」という血流増加を示す専門用語が、「沈滞していた機能が活発に働くようになること」という一般用語に、いつの間にかすり替わってしまったのは「脳科学の誤用、濫用」だと、厳しく批判している。
 

 ストレスや痛みでも、脳は「活性化」するわけで、「活性化」すると教育に良いといった価値判断とは全く関係がない、というわけである。
 

 このような批判にも十分に耳を傾けながら、脳科学の知見に基づく道徳教育の理論と実践の確立に向けて研究を積み重ねていく必要があろう。
 

 とりわけ、発達段階に応じた道徳教育の内容・方法の開発、授業実践に役立つ科学的知見を活用し、「主体的・対話的で深い学び」や「考え、議論する道徳」等の能力を高める教育指導、幼児教育、家庭教育、特別支援教育等と連携した道徳教育をいかに理論的、実践的に確立していくかが課題といえる。

 

2 感性と知性を調和・合流させる道徳教育

 

 そこで、本連載では、筆者がこれまでライフワークとして研究してきた感性教育やホリスティック教育、臨床教育学の視点も踏まえつつ、脳科学の最新の知見に基づく道徳教育についての理論的考察をしていきたい。


 人間の脳は脳幹、大脳辺縁系(感性の中枢)、大脳新皮質(知性脳)の三層構造になっており、感性と知性を調和よく機能させることが道徳教育の今日的課題といえる。


 東大・麗澤大名誉教授の伊東俊太郎氏によれば、「最近、認知神経科学と進化心理学の著しい進展に伴い、この二つの研究領域の結合から、道徳についての科学的探究が活発に行われるようになった。道徳や倫理も大脳組織の中に刻み込まれてきたものであることが分かってきた。」


 『モーラルブレイン〜脳科学と進化科学の出合いが拓く道徳脳研究〜』(麗澤大学出版会)には、道徳の科学的研究の最新成果が盛り込まれており、脳神経イメージング等の進歩により、脳内の神経ネットワークが複雑な仕方で道徳的処理に関与していることが判明し、新たな視座から道徳と脳の関係を論じることの根拠が確保された。


 人間の認知脳には内省(感性的機能)と外向(知性的機能)があり、前者は「よりよく生きる力」を得るために「真善美」の価値観を感じ取り、感性によって精神文化を創造する。一方、後者は「うまく生きる手段」を考え、知性によって物質文明社会をつくる。両者の調和を図り、「ヒトの脳」を「人間の脳」に育てることが道徳教育には求められている。


 人間教育を生物学的視点から見直すために、「ヒトの教育の会」を立ち上げた日本外科学会名誉会長の井口潔九州大学名誉教授は、『人間力を高める脳の育て方鍛え方』(育鵬社)において、江戸時代の幼年期教育のテキスト『小学』が「素読」を通して、「清掃、応対、進退」という実生活の心構えと、「規範の形成」という精神面の両面から教えた江戸期の教育理念に注目し、武士道精神に裏打ちされた江戸期の道徳教育の伝統が「日本を救った」と指摘しているが、脳科学と道徳教育の視点からも必読の書といえる。


 大脳新皮質系からの神経伝達物質には、抑制的物質が圧倒的に多く、この抑制的物質によって脳は常にブレーキを少し踏み込んだ状態で機能している。我欲の抑制は徳であり、道徳の基本である。


 同名誉教授によれば、教育とは、意識的に自我を抑制することによって、環境との調和がうまく調節されるように脳を訓練することであり、道徳が身につけば、無意識に心の自動調節が行われるようになるという。


「心は十年の生理的早産」といわれるように、肉体として生まれた時が「生物学的出生」であるが、心は十歳時に人間として「社会的出生」をする。妊娠六カ月の頃、胎児の脳神経細胞数は一生で最大多数となり、その後一定の割合で「細胞死」によって、神経細胞のニューロン化に必要な空間を準備する。


 そして、生後の養育環境の刺激を受けてニューロン化が進み、三歳ころには大人の約80%、十歳ころには100%に近づく。「三つ子の魂、百まで」といわれるのはこのためである。それ故に、道徳教育は胎教、三歳までの教育が土台となるのである。

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