井の中教材と大海教材 その扱い方のポイント

1、「井の中教材」では大志は育たない

 

 「井の中教材」にしても、「大海教材」にしても、そんな言葉は聞いたことがないと大方の人が思うだろう。当然である。誰も言っていないからだ。実はごく最近私が思いついて使った言葉である。

 

 その背景についてまず述べたい。ここのところ「考え、議論する道徳」や「多面的、多角的な考え方」「答えが一つではない問題」などという言葉が学校現場に広まって、よく耳にするようになった。それらのキーワードを具体的にどのように実践するかということでいくつかの事例発表を聞く機会もある。そして、結果として私は率直なところ、「こんなことをしていて本当にこれからの日本の子供は逞しく頼もしく育つのだろうか」という疑問を持つに至ったのだ。「井の中の蛙大海を知らず」という格言がある。『広辞苑』ではこれを慣用句として立項しているが、その解説には次のようにある。

 

 「井蛙〈せいあ〉は以て海を語るべからざるは、虚〈きょ〉に拘〈かか〉わればなり」(「荘子・秋水」) 考えや知識が狭くて、もっと広い世界があることを知らない。世間知らずのこと、見識の狭いことをいうーと。

 

 この解説の部分「考えや知識が狭くて、もっと広い世界があることを知らない。世間知らずのこと、見識の狭いことをいう」というこの部分こそ、「子供の本質」ではないか。「そう思う野口こそが井蛙である証ではないか」という声も聞こえるような気もする。だが、子供が知識や経験に乏しく、人間として未熟な存在であることに間違いはない。だから、授業も、教育もしないままでいれば、「井の中の蛙」のままで終わる。教育とは「井の中の蛙」に「大海」の存在を知らしめ、大所高所から人間としてのあり方を考えさせ、気づかせ、教えていくことが本務なのだ。

 

 「大物」という言葉もある。「その道で大きな勢力・能力を持っている者。誰からも一目置かれている者」(『広辞苑』)。「小物」については「小人物」(同)とある。「当節は、本物、大物がいなくなった。地位ばかり高くても大方が小物に過ぎない」などの声も聞く。「核家族」「マイホーム主義」「現状満足派」「サラリーマン根性」などという言葉も、小物が多くなった世相を反映しているようだ。

 

 さて、道徳の教材論である。次代を担う子供らには、ちまちました人間ではなく、ぜひ大物に育って欲しい。札幌農学校(現北海道大学)初代教頭を務めたクラーク博士は「少年よ大志を抱け」という名言を残して去った。

 

 廣池千九郎博士(モラロジー創始者)は、20歳の明治19年、徴兵検査で甲種合格した11月に「①人を誹らず ②貧弱を憐れむ ③五十以上にて国事に奔走、死を致すも可なり」の3つの誓いを日記に記している。また、28歳の折、堺の住吉神社に五か条の誓いを立てた。その第一は「国のため、天子のためには生命を失うも厭わず」である。頼もしく、逞しい。ちまちましていない。小物ではない。マイホーム主義ではない。このような気宇壮大な「大志」や「憧れ」を子供達の心に育むのが教育の務めであろう。

 だが現在の道徳教科書には、そういうロマンを掻き立てるような「大海教材」が少ない。身辺の些事を扱った友達同士の小さな対立や齟齬が生むトラブル教材などが多く目につく。「井の中教材」と私が感じたのはまさにそのことなのである。

 

 むろん、身近な問題を取り上げることも大切だ。「小事が大事」とは、私の自戒でもある。だが、それと同様に、あるいはそれ以上に、大きな夢を育てる「大海教材」に出合わせることが必要であろう。このような思いから、私はあえて天皇陛下や国家の難局にあって国民のために命を賭けた軍人の偉業などを「人物教材」として取り上げようと試みているのである。

 

2、「井の中教材」は15分ぐらいの時間で

 

 井の中教材というのは、粗く言えば子供の世界のできごとを主にしたもので、それは必ずしも、レベルが低いとか、軽いとか、チャチなものという意味ではない。しかし、基本的には子供同士で解決ができるものであり、大人がわざわざ介入するまでもないのではないかと思われる教材、資料を指す。いい話、大切な話ではあるが、さほど深く重いというのではない日常生活の一齣〈こま〉、トラブル、エピソードといったものを取り上げているに過ぎない。そこには、子供を中心に家族や隣近所の人、通りがかりの人物などが師として登場することが多い。

 

 これらについての授業は、15分もかければ、状況も、関係も、主題も十分に分かってしまう。授業の一齣15分をかけるまでもないのが一般だ。それを、ああでもない、こうも考えられる、それはむずかしい、そうでもない、などと「考え、議論する」ことによって45分を使うことにどれほどの意味があるのだろう。思い切って授業の導入教材として、残った30分は、もっと重く、もっと大きな教材、つまり「大海教材」について学ばせる方がよいのではないか。

 

 「電話のおじぎ」という3年生の教材がある。電話口で相手に礼をするお婆ちゃんを見て「電話じゃ見えないのに」と笑う子供に、母親が「見えなくてもおじぎの心は通ずる」と諭す話である。可視の世界しか問題にしない子供の現実に、不可視の世界の大切さを考えさせる教材だが内容は平易単純明快である。これまでに光文書院、光村図書などで採用されてきた。道徳の教科書になってからは廣済堂あかつきが採用している。

 

 副読本時代を入れると十数年のロング教材であるが、実は私の作品である。これなどは15分ぐらいの導入で扱い、「見えないけれども心は通ずるのだ」ということに気づかせて終われば十分だ。

 

 そして後半の30分は、例えば、今上天皇、皇后両陛下が硫黄島に慰霊の旅をされた折のお祈りのお姿、あるいは、東日本大震災の犠牲者の霊に対して深々と頭を下げられる両陛下のお祈りのお姿などを、写真資料として提示する。そして、そのお姿をしばらくは凝視させ、それから両陛下のお心の中の言葉を考えさせ、いずれも海に向かって深々と黙祷を捧げておいでの写真であるのだが、全国民の慰霊の思いを一身に背負われての両陛下のお姿は、電話のお婆ちゃんの挿絵とはまた一味も二味も異なった感慨を生むのではなかろうか。

 

 「大海教材」は「井の中教材」をきっかけにして、更に重厚な思いに転ずる力があると私は考えている。

 

<NO. 150 平成30年3月1日発行より>

 

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