「二通の手紙」を通して問題解決的な道徳授業の追求
「二通の手紙」
<あらすじ>
ある市営動物園の出来事です。いつも入園終了間際に3、4歳の弟の手を引いてやってくる小学3年生くらいの姉がいました。ある日、入園終了前の時刻に、その姉は「今日は弟の誕生日なので、キリンとゾウを見せたい」と申し出ます。定年間際の入園係の元さんはその要求を受け入れ、園内に入れてあげました。しかし、入園終了後、15分たっても出口に戻ってこないので、二人の捜索がなされました。1時間たってやっと無事に見つかりました。この事件のあと、元さんにあてた停職処分の手紙と二人姉弟の母親からの気持ちのこもったお礼の手紙が机の上に並べてありました。そこで元さんは、「○○○さん、子供たちに何事もなくてよかった。私の無責任な判断で、万が一事故にでもなっていたらと思うと・・・。この年になって初めて考えさせられることばかりです。この二通の手紙のお陰ですよ。また、新たな出発ができそうです。本当にお世話になりました」と言って自ら職を辞し、この職場を去って行きました。
「私たちの道徳(文部科学省)」
1.問題解決的な学びのために 先日、大学の道徳授業の中で中学生用教材の「二通の手紙」を使い授業づくり研修を行う機会があった。
学生に教材を読んだ感想を聞いたところ、「元さんはいいことをしたのになぜ解雇になるんだ」という感想にとどまってしまうのではないか、「元さんが解雇されてしまったインパクトが強すぎて、ねらいに迫る上で論点がずれないようにするのが難しそう」という意見や、「発問の数が多すぎて、どこが大事なのかわかりにくい」、「何が一番よい答えなのか、わからない。中学で受けた授業で、結局何が正しいのかわからなかったことを思い出した」といった素直な感想が寄せられた。
道徳の教科化では「考え、議論する道徳」への質的転換が期待され、質の高い指導方法の一つとして問題解決的な学習が紹介され、全国で実践が重ねられている。
道徳科では、物事を多面的・多角的に考えることや、道徳的価値の理解を自分との関わりで深めるという点が重要である。しかし、この学生のように「自分との結びつきが弱いな」、「何を考え、話し合えばいいんだ?」といった疑問を持ったまま、教師に用意された発問に導かれ話し合う授業で、果たして子供たちの道徳性を育てることができるのだろうか。
私は、これからの道徳授業はどのような指導方法をとるにせよ、基本的には問題解決的な学びにしていかなければならないと考えている。
この授業の中である学生が「論点がずれると、道徳の意味がなくなってしまうのではないか」と感想を述べた。
これは非常に鋭い指摘ではないだろうか。「ぶれのない論点」とは、言い換えれば「ぶれのない問い(課題)」である。その時間に仲間とともに考え、議論する課題は何かを明らかにすること。そして、共通理解のもとで課題解決に迫る授業づくりに取り組むことが、新しい学習指導要領が求める「主体的・対話的で、深い学び」を実現するために必要ではないか。
学校現場では、教科化を目前に控えて多様な指導方法や評価に注目が集まっている。しかし、なぜ今、道徳科で問題解決的な学びが注目されるのか、その意義についてもう一度、考えてみたい。
2.「二通の手紙」を問題解決的に扱う そもそも問題解決的な道徳学習には、三つの段階があると言われている。
第一段階・学習問題設定→第二段階・主体的な追求活動→第三段階・一人一人による解決
更に授業で扱う道徳的問題は次のように分類されている。
(1)道徳的価値が実現されていないことに起因する問題 (2)道徳的価値の理解が不十分または誤解から生じる問題 (3)道徳的価値を実現しようとする自分とそうできない自分との葛藤から生じる問題 (4)複数の道徳的価値の間の対立から生じる問題
授業の中で学生からこの教材は、「元さんはどうすればよかったか」というような問いを立てることに向いているのだろうかという疑問が出された。
本教材の問題解決的な展開の中には、葛藤場面を取り上げ、「元さんの行動に賛成か反対か」を話し合うことが有効であるといった事例を目にする。本当にそうだろうか。
山口県の坂本先生は「本教材は元さんの晴れ晴れした心情に共感的な理解を図ることが大切であり、元さんの行為に対して対立的に賛成・反対を問うたり、解雇の妥当性を論じたりするような話し合いにしない方がよい」と指摘している。全くその通りであると思う。
では、学生の指摘したように、この教材は問題解決的な学びには向かないのだろうか。
3.遵法精神、公徳心から教材を読む ここで取り上げる指導内容は「法や決まりの意義を理解し、それらを進んで守るとともに、そのよりよいあり方について考え、自他の権利を大切にし、義務を果たして、規律ある安定した社会の実現に努めること」である。
ここに法教育の視点も加えてみたい。法教育についてアメリカの法教育法では、「法律専門家ではない一般の人々が法や司法制度、これらの基礎になっている価値を理解し、法的な考え方を身に付けるための教育を特に意味するものである」と示されている。
動物園には、規則があった。
・入園終了時間は午後4時 ・小学生以下の子供は、保護者同伴でなければ入園できない。
この決まりに対して、問題場面の状況は表のようであった。
・幼い姉弟が入園料を握りしめ、泣き出さんばかりに入園を迫った。 ・どうやら、弟の誕生日のようだ。 ・元さんは、姉弟がこれまで何度も入り口から園内を眺めて我慢している様子を見て知っている。 ・何か特別に事情がありそうなことがわかる。 ・元さんは、もちろん園の決まりは熟知している。
元さんは二人の思いをくみ取り特別に中に入れてあげた。元さんの判断の根っこには「思いやり」の情があることは明らかである。
このような「法の厳格化」と「様々な情」の間の、いわば「善と善」の価値葛藤の中で揺れる思いを持つことは、中学生も多く経験していると思われる。
「決まりは大切であること、守らなければいけないことはわかっている。しかし…」という葛藤である。このような「わかっている自分と、できない自分」という問題をベースにしてこの問題をさらに深く考えさせることができないだろうか。
4.展開例 ・主題名 法や決まりの意義
・教材名 二通の手紙
・ねらい 法や決まりの意義を理解して遵守するとともに、そのより良いあり方について考え、自他の権利を大切にした生き方をしようとする態度を育てる。
・展開の概要 本時の中心課題は「法や決まりの意義を理解すること」である。読後の生徒は、「元さんの解雇は残念だ」「それなのに、なぜ元さんはすっきりしたのだろう」といった疑問を持つだろう。そこで、展開では、その課題意識を共通のものとし、協働で解決を図ることを中心的活動として位置づけ、主体的な学びができるように構想している。
お互いの考えとその理由をしっかりと話し合うことで、「決まりは安全や生命の確保、事件・事故のリスクの回避、お互いの幸せを実現するうえで欠かせないものであり、誰もが秩序や規律ある社会を実現するために守ることが必要だ」ということを深く理解することができる。
では、なぜこの教材に「二通の手紙」が必要なのだろう。法の意義や厳しさを考えさせるには、一通の解雇通知だけでも可能ではないのか。
元さんは、園にとっての善と子供にとっての善を両立させることはできなかった。しかし、法や決まりの意義を理解し、積極的に決まりを守ろうとする心情が高まり、晴れ晴れとした気持ちになったと解釈できる。
では、母親の感謝の気持ちや子供たちの満足という「思いやり」の視点はどうすればよいだろう。そのことを更に生徒の立ち位置から主体的に考えさせたいと考えた。それが、三つ目の発問である。「決まりを遵守すること」を尊重するとともに、「社会で共に生きる存在であること」を生徒たちに一層意識させ、よりよい社会の実現に向けた自分の在り方を考えてほしいという願いが、発問には込められている。

5.終わりに 学生の感想にあるように、多くの中学生の読後の感想は元さんの解雇は厳しすぎるというものではないか。したがって問題解決を通して、きまりの持つ意義について理解を深め「…そうか、だから、決まりは誰もが守らなければならないものなのだ。」という意識を高めたい。そのうえで更に「思いやり」の実現という視点も同様に大切にしたいと考えるのである。
<NO. 149 平成29年12月1日発行より>