1、はじめに

 私学の校長を十年させていただき、また大阪の私学全体の進路指導と生徒指導の研究会に携わることで、教育現場における道徳教育の必要性を強く感じてきました。「子供の心と向き合う」とはどういうことなのか、ということを、拙い体験を通して所見を述べさせていただきます。

 

2、価値判断の基準

 価値判断の基準は人によって様々ですが、その基準が人間として幼稚なものであったとしても、「それが個性であり、判断基準は上から押し付けられるものではない」といった“まことしやかな”風潮があります。判断基準はその人の心の問題であり、尊重すべきものだという考え方です。しかし、心の問題だからこそ、もっと子供の心と向き合い、心のレベルアップを図らねばならない、というのが私の主張です。

3、同級生の恐喝の場合

 同級生を恐喝した生徒に、生徒指導の先生が「なぜそんなことをした」と聞くと、「遊ぶ金がほしかっただけ」と一言。「遊ぶ金がほしいことのどこが悪い」と言わないにしても、気持ちはそんなところです。

 価値判断の基準が本人の好き嫌いにあると、「したいようにして何が悪い」という心が働き、「好きなようにしたらいい、させたらいい」という雰囲気が蔓延し、社会の風潮を形成しているとしたら、いくら生徒指導を頑張っても子供は変わりようがありません。

 

4、進路指導のある出来事

 進路指導における親との懇談でよくある場面。「その道へ進みたいと本人が言っています。子供には好きなようにさせます」と親はサラリと言います。なるほど、好きなことがめいっぱいできるなら、これ以上幸せなことはありません。しかし、進路の大切な観点が忘れられています。「その道は世のため、人のためになるのか」ということです。

 

5、試験の不正行為

 試験中に不正行為をした生徒が保護者と一緒に校長室へ入ってきます。「校則を破りました。もう二度としません」と答えます。しかし、私はその行為自体よりも、そのときの心を尋ねることにしています。「なぜカンニングをしようとしたか」「やめようとは思わなかったか」・・・・そう聞かれた時に生徒が答える言葉に注目します。

 学校でも家庭においても、子供に対して「あなたはなぜそういうことをしたのか」ということを、ことあるごとに問いかけているでしょうか。悪いことをした時だけでなく、良いことをした時も同じように尋ねることです。子供の言葉に注意を払い、行為の動機となっている判断基準をさぐる。その上で、「もっと違う考え方はないだろうか」と言って気づきの指導をする。それができなければ「こういうように考えたらどうかな」とヒントを与える。

 

6、むすび

 いずれにしても、子供の判断基準に任せることはしないで、子供の判断力のレベルを上げるということをしないといけません。子供の心と向き合うには、教員がそこまでの覚悟をして臨む必要があります。

<NO. 143 平成28年6月1日発行より>

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