人物教材の活かし方 ―昭和天皇―

1 天皇制への無関心

 「日本国憲法の第一章に書いてあるのは(1)国民、(2)天皇、(3)平和、のどれか」と尋ねると(2)の天皇を選ぶ者はほとんどいない。子供はもちろんのこと、教師もほとんどの者が選ばない。むろん、正解は(2)である。
 

 また、「国家の代表者を元首と言うが、日本の元首は誰か」と問うと総理大臣という答えが断然多い。日本の元首が天皇陛下だとは憲法に明記されていないが、諸外国での認識は天皇陛下ということで一致している。総理大臣は天皇に任命されてから正式に初めて就任する。
 

 子供や親の大方は右のような事実は知らないし、教員もほとんど知らない。「知らない」ということは「教わらなかった」からで、本人の罪というよりは教えなかった側の責任と私は考えている。
 

 このようなことは、教科書にも指導要領にも明記されていないので教員も子供も「知らない」のは無理もないのだ。
 

 国民の誰もが知っていなければならないことが教えられていないということは、教育上の問題であり、最終的には文部科学省の責任ということになろう。だが、これをそのままにしておいてよいということにはなるまい。我々の正しく、深い事実認識によって無知を正し、補い、改め、教えなくてはならない。そういう自覚を我々教員は持ちたいものだ。
 

 日本が世界に誇れる日本固有の事柄と言ったら何になるのだろうか、とある時期いろいろと考えてみたことがある。歴史の古さ、教育の高さ、四季の美しさ、海洋国などといろいろ考えてみたのだが、いずれも「日本だけの」「固有の」ということになると説得力がない。その結果思いに至ったのが「天皇制」である。これは明らかに日本固有の制度である。しかも実に二千年を超える万世一系の長い歴史を持っている。
 

 昭和20年、つまり敗戦に至るまでの大日本帝国憲法第1条は次の通りだ。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」また、第三条には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とある天皇陛下が国家元首としていかに大きな力を持っていたかがよくわかる。
 
2.昭和天皇の二大偉業

 現天皇は今上天皇とお呼びする。その先帝は昭和天皇である。もし、昭和天皇がおいでにならなかったとしたら、現在の平和国家日本は存在していなかったに違いない。昭和天皇のお考えとお人柄、国民を愛するお心がなかったら、日本はどんなことになっていたか。恐らくは国家としての存在は不可能であったとしか思えない。
 

 それほどに大きな天皇陛下のお考えによって現在の日本の繁栄があるなどということは、ほとんどの国民が知ることなく過ぎている。残念かつ恥ずかしいことだと私は思う。せめて次の二つぐらいのことは、子供に伝え、教え、分からせなくてはなるまい。

 

(1)太平洋戦争の終結の御聖断
 昭和16年に始まった大東亜戦争は、開戦2年間はほとんど勝ち戦だったが、昭和18年頃からは徐々に追い詰められ、果ては沖縄を占領され、原爆も落とされた。これ以上戦争を続けるか、降伏するかの瀬戸際に立たされた政府と軍部の苦悩、焦燥はいかばかりであったことか。和戦両論は平行線のまま、日に日に日本の被害は大きくなった。時の総理大臣は、昭和天皇の信任の厚かった鈴木貫太郎氏である。戦局は誰の目にも不利であったが、負けじ魂、大和魂の意地で「本土決戦」に反対することは極めて困難であった。この超難問を解決し、和平に導かれたのが昭和天皇の大聖断である。昭和天皇がもしもおられなかったら、と思うと身の毛がよだつ。語り伝えねばならぬ重大事である。教科書にはこのことについては書かれていない。最重要の国家的会議は、天皇に御同席を戴く「御前会議」である。史上数回しか開かれていない。

 

 最終的とも言える緊迫した国家首脳部の会議でも相変わらず両論は平行線のままであったので、鈴木貫太郎首相は意を決し、昭和天皇の御聖断を仰ぐことにした。
 

 天皇陛下は、この時初めて公式に戦争終結のお考えを明言された。「これ以上国民を苦しめる訳にはいかない。我が身はどうなっても構わない。国民を救うために戦争を終結したい」とのお考えを切々と述べられた。御自身の一命に替えても一時も早く国民を救いたいという大御心の尊さ、有難さに会議に列席した首脳たちは「号泣した」と記録されている。
 

 何度も重ねて書くが、この御聖断がなければ広島、長崎に続いて全土に原爆が投下されたことであろう。そして、日本は壊滅していたに違いない。

 

(2)マッカーサーとの会見
 もし、昭和天皇がマッカーサー元帥に会う事をしなかったら今の日本はない、とこれまた断言してもよいだろう。天皇の会見の申し入れに対して、マッカーサー元帥は昭和天皇が「私が命じた戦争ではない。私の命は助けてください」と懇願するために来るのに違いない、と考えていた。

 

 しかし、昭和天皇は正反対のことを伝え、マッカーサーをして骨の髄まで感激せしめたのである。天皇陛下は、「この度の戦争の責任はすべて私にある。文武百官は私の任命するところだから彼らに責任はない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする」と、述べられたのである。
 

 この天皇の言葉に元帥は驚愕する。『マッカーサー回想記』の中で元帥は「私は大きい感動にゆさぶられた。死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとするこの勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までもゆり動かした」と自ら記している。
 

 続けて天皇陛下は、「この上はどうか国民が生活に困らぬよう連合国の援助をお願いしたい。このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがある。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充てて戴ければ幸せである」と言われて大きな風呂敷包みを差し出された。
 

 元師はゆっくり立ち上がり、陛下の手を握り、「私は初めて神の如き帝王を見た」と述べたと記録にある。日本再生の原点はここにこそあったのではないだろうか。

<NO. 149 平成29年12月1日発行より>

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