「孝は私をやぶりすつる主人公なり」

 かつて臨時教育審議会の会長に就任した岡本道雄氏は、尊敬する古代ギリシャ哲学の泰斗田中美知太郎氏を訪ねた。この時、田中氏は、「岡本君、教育の根幹は親孝行と愛国心の二つだよ。君はこれから日本の教育の審議をするので、何より大事な事と思って君にこの事をお話ししたかったのです」と教示したという。

 

 教育、とりわけ道徳教育について考えるたびに以上のエピソードを思い出す。そもそも我が国では「孝」が道徳の中核と考えられていた。その先駆者は近世初期を代表する儒者、中江藤樹である。彼は『翁問答』のなかで「孝は私をやぶりすつる主人公なり」と説く。

 

 ここに言う「私」とは誰にも生じやすい我欲にほかならない。自他を分かち、対立をあおる。ところが「孝」の心が発動すれば、そうした邪心を破るというのである。

 

 例えば、日頃仲の悪い級友の靴が学校の昇降口に置かれていたとする。あたりに人影はない。そこで、とっさに靴を近くのゴミ箱に放り込んだ。子供の間で起きがちな行為だ。しかし鬱憤を晴らしたつもりが、なんだか後味が悪い。そのうちに親の顔が浮かんできて、ついに脱兎のごとく引き返して靴を元に戻す。こうしたことは言わないだけで、子供の世界にはごまんとあるはずだ。つまり、親のことを思い浮かべた瞬間、こんな卑劣なことをすれば親を汚すのではないか、そんな心地がしてブレーキがかかる。

 

 このように孝の内実を見れば、善に対する感応や邪なものを断ち切る意志、思いやりなどが様々に働いている。時にはいじめのような卑劣さを破る威力も含蓄する。そういう点で、孝というのは「総合的な働き」と言えよう。

 

 昨年来、学校では「議論する道徳」への転換が求められているが、議論するものがないのに無理強いしても失敗する。小学校に限っていえば、道徳は孝を柱にプログラムを組み直すことだ。孝心が健やかに育つとき、家庭と学校は甦るのではないか。

<NO. 145 平成28年12月1日発行より>

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