人物教材の活かし方  ―西郷隆盛の場合―

1、代表的日本人、西郷隆盛
 日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的な著作として名高い新渡部稲造の『武士道』と岡倉天心の『茶の本』と並んで『代表的日本人』(内村鑑三著)がある。内村は代表的日本人として西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮を挙げているが、その筆頭が西郷隆盛である。

 

 内村は「我が国の歴史から、最も偉大な人物を二人あげるとするならば、私は、ためらわずに太閤と西郷の名をあげます」と言い、「西郷は、自国を健全な道徳的基盤のうえに築こうとしてその試みは一部成功をみた」と述べている。含みは西南戦争を指すと思う。
 

 また、「維新における西郷の役割をあまさず書くことは、維新史の全体を書くことになるであろう。ある意味において明治元年の日本の維新は西郷の維新であった」(いずれも前掲書)とまで述べている。
 

 上野の公園に犬を連れて立つ西郷隆盛の銅像を一度でも見た人は、その堂々として、どこかのどかな風貌を湛える姿がいつまでも心に残ることであろう。日本人の代表たる偉人西郷隆盛を、子供たちにどのように伝えたらよいだろうか。二つの事績を挙げておきたい。

 

2、すぐれた師に出合い、導かれた
 西郷は、むろん本人が優秀な頭脳の持ち主であったが、何よりも「謙虚に学ぶ心」の持ち主であった点を学びたい。およそ、天下に影響を与えるほどの逸材となる者に共通するのは「すぐれた師との出合い」であり、そこから大きな志を学びとっているという一点である。

 

 西郷が第一の大きな影響を受けたのは薩摩の藩主島津斉彬である。斉彬は洞察力に富み沈着冷静、早くから日本に変革が必要であることを読みとり、迫りくる危機に備えて領内に多くの改革を施していた。薩英戦争の勝利はその帰結であり、強い攘夷思想の持ち主でありながらフランス人の上陸を丁重に迎えるという柔軟な思想も併せ持っていた。「必要ならばあえて戦争も辞さない平和の士」と内村は書いている。西郷は家臣であったが、藩主との関係は友人のように親しく、国の将来を思う名君を心から敬愛し、大きな影響を受けた。
 

 もう一人は水戸の儒学者藤田東湖である。東湖の名声を聴き、西郷は江戸滞在中に藩主と共に東湖を訪ねて意気投合、西郷は「天下に畏るべき存在は一人しかいない。その方こそ東湖先生である」とまで心酔した。一方、東湖は「我が志を後世に継いでくれる人間はこの若者のほかにいない」と西郷の人物の偉大さを見抜いたという。
 

 この二人の師から、西郷は国家の統一を志し、西欧並みの高レベルにしたいという大志を抱き、「奉じて生きる明らかな理想が出来」(内村)た由。日本を近代化する維新の種は二師によって西郷の中に胚胎していったとも言えよう。
 

 このような経緯を知るにつけても、戦後の日本の教育のありようが、「謙虚に学ぶ」という「素直な受容」を軽視し、「子供の自発性、主体性、個性の重視」「多様性の尊重」という美名によって、未熟で傲慢な自分中心の子供を育てる方向に走っているように思われて仕方がない。何か、大きな勘違いがあるようなことはないのだろうか。

 

3、勝海舟との会談の大功
 歴史的真偽の程は別として、内村は次のように書いている。(筆者抄録)
「西郷が和平を決断する数日前、勝は西郷を愛宕山へ散策に誘った。眼下に広がる壮大な都市江戸を見て西郷の心は大きく動く。『我々が一戦を交えると、この罪のない人々が我々のせいで苦しむことになるなあ』西郷は、勝にこう呟くと暫く押し黙ったままだった。西郷の『情』が動いた。罪のない人々のためには和平こそが大切なのだ」
「西郷の強さの奥には、随分女性的な優しさがありました。町は救われて残り、和平が結ばれました」(共に『代表的日本人』)

 

 勝というのは、幕府軍の最高司令官勝海舟である。徳川方にあっては「勝だけが、幕府の最期の避け難いことを見通し、国家が生存するために主家の大権を犠牲にする覚悟ができていました」とも内村は書いている。
 

 慶応4年(1868)3月14日、江戸薩摩藩邸で、幕府の陸軍総裁勝海舟と官軍の参謀西郷隆盛が歴史的会談を行う。立場上は敵味方の責任者同士だ。西郷軍およそ一万の官軍は江戸総攻撃の準備を終えた。幕府方数千人の武士も江戸城に終結、後は決戦の時を待つばかりという緊迫の中にある。
 

 勝は「官軍が徳川慶喜の命を助け、徳川家に寛大な処置をとるならば江戸城を無抵抗で明け渡す」と告げ、西郷の言葉を待った。
 

 さて、西郷は何と答えたか。最重要な決裁の場である。西郷の答え方一つで江戸百万の民に大混乱を招くか、無事に済むかが決まってくる。西郷は、勝の話を終始誠実そのもので受けとめ、うなずき、やがて次のように答えた。
 

「いろいろ難しい議論もありましょうが、私の一身にかけてお引き受け致しましょう」
 

 この一言で江戸百万の民は戦火から救われることになったのである。
 

 もしも、とどうしても思ってしまう。どちらかが、目先の利害や名誉や意地にとらわれ、「負けるものか」などと考えようものなら、日本の歴史に大きな過誤と汚点を刻んだに違いない。大局的な視点に立ち、何が今の日本国にとって最善なのか、将来を考え、時勢を見極めた熟慮の末の判断は見事であった。
 

 この会談を、後に勝は名著『氷川清話』の中で次のように回想している。
 

「さて、いよいよ談判になると、西郷は俺の言うことを一々信用してくれ、その間一点の疑念もはさまなかった」
 

「ことに感心したのは、西郷が俺に対して幕府の重臣たるだけの敬礼を失わず、始終座を正して手を膝の上に乗せ、少しも戦勝の威光でもって敗軍の将を軽蔑するというような風が見えなかったことだ」
 

「あの時の談判は実に骨だった。官軍に西郷がいなければ話はとてもまとまらなかっただろう」
 

「今日までに西郷ほどの人物は二人と見たことがない。どうしても西郷は大きい」
 

 こういうスケールの人物に、子供の頃から憧れを持たせることは、とても大切だ。
 

 憧れは、自分のあり方、考え方、受けとめ方を憧れに向けて方向づけるからである。偉人の伝記を学ばせる意義はそこにこそあるのだと言えよう。そのような価値ある教材を開発すべく教師は常に読書に努めなければなるまい。

<NO. 148 平成29年8月1日発行より>

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