人物教材の活かし方 ―乃木希典大将の場合―

1、「教える」ことの重視
 「特別の教科 道徳」では、「考える道徳」「議論する道徳」の二つがキーワードだと示されている。しかし、考えたり、議論したりするためには、そのもとになる知識、理解が不可欠である。

 

 思考力、表現力、判断力は、いずれも知識や情報を組み合わせることによって成立する。知識や情報を十分に与えることをおろそかにして、考えよ、議論せよと求めても大きな実りは期待できまい。教えるべきこと、知らせるべきこと、分からせるべきことを与えるという根本的な前提を軽んじてはいけない。この一点については特別の注意、着目が必要だと強調しておきたい。
 

 とりわけ「人物教材」の指導に当たっては、その人物の人となり、実績、業績のポイント、急所、要点の概略を知らせて臨む必要がある。
 

 その上でその人物ならではの人生観、価値観、決断、実践等のエピソードを提示し、そこで初めて「考え」や「議論」に導くことが望ましい。とりわけ教材人物の岐路の選択に当たっての対処のあり方には注目させていきたいものだ。

 

2、教えること三つ
 教育哲学者の森信三先生は、大事なことはいつでも三つしか言わなかったそうである。躾の三原則「挨拶、返事、履き物揃え」は特に有名である。「時を守り、場を清め、礼を正す」は職場再建の三原則として知られる。私も努めてこれにならうようにしたい。

 

(1)日露戦争、陸軍の司令官
 大国ロシアの戦力ははるかに日本軍の戦力を上廻っていた。加えて、世界一の難攻不落の要塞、旅順攻撃は日露戦争最大の激戦、苦戦、難戦であった。ロシアの陸相、総司令官のクロパトキンは「いかなる敵を引き受けても断じて三年は支えることができる」と豪語していた旅順要塞である。この鉄壁の防備を乃木大将は半年余りで勝利を導いたのだ。

 

 だが、日本側の戦死者も1万5400人を超え、負傷者は4万4000人に上った。このことによって乃木大将への国民の批判や不満が沸騰したこともあった。乃木自身は誰よりも深くこの責任を感じていた。
 

(2)敵将ステッセルとの会見
 明治38年1月5日、日露の司令官による会見が旅順近郊の水師営で開かれた。「水師営の会見」と呼ばれている。これは敗軍の司令官ステッセルの騎士道上の求めによる表敬であり、勝者への礼をとったものと言われている。

 

 日本の勝利を信じた者は世界のどこにもいなかったといわれた世界史的な大事件の劇的場面を記事に収めたいと多くの国の新聞記者が集まった中で、最も熱心だったのは米国の映画技師であった。活動写真のニュース場面に収めるべく乃木大将に会見の撮影を要望したのだが、乃木は副官を通じて丁寧にこれを断っている。それは、常識的に見れば異例のことである。この断りに対しては、各国の特派員記者が承知せず、なおも強く写真撮影を懇請したので、乃木は止むを得ず一枚だけという条件でこの要望を受け入れた。
 

 通常、敗軍の将は武装を解除され、いわば丸腰で敗者らしく写真に収まるのがきまりだが、乃木はこれに反して帯剣、軍装をゆるした。つまり対等の立場、服装で撮影させたのだ。これは世界的に大評判になり、日本の武士道の美を広く世界に知らしめることになった。
 

(3)昨日の敵は今日の友
 大国ロシアが、小国の日本に敗れた重大な責任は司令官の失策にあるとして、ロシアの皇帝ニコライ二世は、ステッセル将軍に銃殺刑を言い渡した。これを知った乃木大将は皇帝に宛てて助命嘆願の書簡を送り、その甲斐あってステッセルは死刑を軽減され、シベリア流刑となった。
 

 これも日本の武士道の美として特筆されるべき乃木大将の人徳であろう。
 

 むろん、これらの他にも特筆すべき事績は多い。勝典、保典の二子の戦死に「よくぞ死んでくれた」と述べたこと、凱旋帰国の大歓迎を喜ばないのみか、多くの日本兵を死に追いやった重責を心から悔いていたこと、学習院院長として皇族に正統な帝王学を教育したこと、明治天皇の崩御の後に、崩御を悼んで妻の静子と共に殉死を遂げたこと等々、それらの中から何を取るかは授業者の選定に委ねたい。
 

 さて、これらを教え、伝えた後に「考え、議論」に導くにはどんな方法が考えられるだろうか。

 

3、すぐれた発問と正しい解の提示
 「問われて気づく」「問われて見えてくる」ということがある。それらは、当然のことながら問われなければ気づかないし、見えないままに終わる。その故にこそ「すぐれた問い」が重要な意義を持つのである。

 

 また、問うたことについては、責任の持てる解を示すべきだ。「押しつけは不可」との理由から、教師の解をぼかして終わる活動中心主義は私の最も忌まわしむところである。
 

(1)日本勝利の真因は何か
 兵隊の数、要塞の堅固、大砲等の兵器の量、性能等どれを比べても日本の敗北は誰の眼にも明白であった。それにも拘わらず、日本は勝利した。一体、何がそれをもたらしたと思うか。

 

 右の問いをめぐって「考え、議論」させるとよい。勝利の要因は次の言葉に尽きる。「将兵をして最後まで士気と闘志を堅持せしめた主将乃木の比類なき統率力人格の力」(岡田幹彦氏)下線部の言葉の内実と実像を教師が分かっていなければ、この解は画餅に帰する。教師が具体的な実感に基づいて語れるだけの力を持つべきだ。
 

(2)写真撮影をなぜ断ったのか
 勝利国の乃木は世界的なニュースバリューのある栄光の写真撮影をなぜ「丁寧に断った」のか。その理由を「考え、議論」させよう。

 

 正解として次を示したい。敗軍の悲しみに勝者の傲りで対してはならぬ。日本には栄誉だが、ロシアにとっては無念の恥をさらすことにもなる。乃木は武士の魂を持って敵将に対したのである。それ故にこそ許した一枚の写真では、敗者にも正式な武装をさせ、互いに武人としての名誉を讃えあったのである。これは、世界から絶大な賞讃と敬意をもって迎えられた。
 

(3)敵将の助命を乞うた訳は
 乃木は本来は憎むべき敵将であるステッセルの助命を皇帝に懇請した。なぜだろうか「考え、議論」させたい。
 

 世界の歴史上かかる例は絶無である。明治天皇の御製が解の大きなヒントになろう。
 

 「国のため仇(あだ)なす仇(かたき)は砕くとも いつくしむべきことな忘れそ」

<NO. 147 平成29年6月1日発行より>

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