ごちそうさま

【学校のちょっといい話】

 私が千代田区の小学校長として着任して1年目の2学期のことである。

 その日は、養護教諭が、朝から出張することになっていた。「校長が保健室を管理するから心配しないで行ってらっしゃい」と笑顔で送り出した。

 私が保健室に行くと、欠食児童の6年のK子がベッドで寝ていた。時々こうして給食まで保健室で過ごしている。私は、校長室にあるカステラ二切れと蜂蜜たっぷりの紅茶を二人分準備して、保健室に運んだ。

 「校長先生と一緒に食べよう」

 彼女は初め躊躇していたが、私がベッドのカーテンを閉めると、安心したようだった。二人でベッドに座った。「校長先生もおなかペコペコ。さあ食べようね」といってお盆を差し出した。K子はこっくりと頷いて食べ始めた。私は、「お母さんは、夜遅くまで働いて、あなたを育てているのだから、朝起きられない時もあるよね。お母さんに感謝はしても、決して恨んだりしてはいけないよ。校長先生との約束だよ」と言ってK子の顔を見た。K子はにっこりと笑っただけであった。

 その後、お母さんのこと、友達のこと、いろいろな話をしながら、二人で食べた。10分ほどの時間が過ぎた。「美味しかった?」と聞くと、大きく頷いた。しばらくして、K子は元気を取り戻し、教室に戻って行った。

 翌日、校長室に養護教諭が血相変えて駆け込んできた。

 「校長先生困ります。保健室で物を食べさせてはいけないことになっています。校長先生と言えども守っていただかなければ……」

 私は「確かに物を食べさせたのは私が悪かったです。でもね、あの子の様子を見ているとどうしてもそうしたかったのです。規則があることは知っていました。学校というところは児童が仲よく元気で学ぶところでしょう。私はね、規則はそのためにあるのではと思っているのですよ」と言葉を返した。

 養護教諭は黙っていたが、明らかに不満顔であった。

 「もし、私が言ったことが間違っていたならば、私がK子に食べさせたカステラは、物ではなく元気の出るお薬と思ってください。そうすれば、規則違反にならないでしょう」と私が言うと、彼女は、納得がいかないという表情で

 「それは屁理屈です」

と捨てセリフを残して校長室を出て行った。校内で校長の評判は低下してしまった。

 卒業式の日、私は壇上で、一人ひとりに「おめでとう」の言葉を添えて卒業証書を渡した。皆「ありがとう」と答えてくれた。しかしK子の答えは違った。小声で「ごちそうさま」と言ったのである。

 校門で卒業生を見送る私に、K子は寄ってきた。

 「校長先生! 校長先生と食べたカステラと紅茶の味は忘れられません。辛くなったり、くじけそうになったら、あの味を思い出します!」

と言って笑顔で巣立っていった。

 私はK子の幸せを祈りながら後ろ姿をいつまでも見送った。

<NO. 145 平成28年12月1日発行より>

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